延宝五年(1677年)、師であった本因坊道悦の引退とともに、若干33歳で四世本因坊を襲名し、名人碁所に任じられました。この時、他の家元四家から一切の異論も出なかったと言われています。
名人碁所の制度は徳川家康によって定められました。その身分は武家と同じように家禄が与えられ、旗本並の待遇が施されるとともに段位授与全権が任せられるほどの権力でした。それ故、推挙される資格を有するのは家元四家である本因坊家、林家、井上家、安井家の当主だけであり、全ての家元がその実力と人格を認めた人物でなければなりませんでした。
もちろん家元同士の政治的なしがらみや人間関係も関わってきます。名人碁所への就任に異議がある場合は”争い碁”と呼ばれる対局を申し出ることができ、申立者との勝敗によって判断がなされました。この”争い碁”の申立てさえ出ないほど、すでに道策の実力は抜きん出ていたのです。
徳川家康の命日11月17日に開催され、各家元の代表棋士が対局する御城碁においても、30年間の間で二子局での一目負け2回のみ。棋譜が残された対局には黒番での負けは1局もありませんでした。この無類の強さゆえ碁聖と称され、後世において同じく碁聖と称された本因坊秀策と本因坊丈和の後聖に対して前聖とも呼ばれます。
本書は1933年に刊行された道策全集全三巻を底本とし、そこに収められた対局者別の棋譜全117譜を1冊に収録したものです。
対局者には道策の師匠本因坊道悦から家元四家の当主、五虎と呼ばれた弟子達の名が並んでいます。また棋譜の中には、道策が生涯の名局と述べた天和三年の御城碁での安井春知との一局や、映画「天地明察」で天文学者でもあった主人公・安井算哲が初手・天元を打った名場面に出てくる対局なども収録。
それぞれの棋譜には対局日時や対局者のプロフィールが添えられ、棋譜によっては勝負手や戦局に対してのコメントも附されています。
対局者一覧
- 道策 × 本因坊道悦
- 道策 × 東山朝尋坊
- 道策 × 安井算哲
- 道策 × 南里興兵衛
- 道策 × 青木愚碩
- 道策 × 杉村三郎左衛門
- 道策 × 板垣善兵衞
- 道策 × 正木主計
- 道策 × 福尾玄可
- 道策 × 福尾玄故
- 道策 × 安井知哲
- 道策 × 安井春知
- 道策 × 本因坊道的
- 道策 × 桑原道節
- 道策 × 星合八碩
- 道策 × 熊谷本碩
- 道策 × 井上道砂因碩
- 道策 × 吉和道玄
- 道策 × 境道哲
- 道策 × 小倉道喜
- 道策 × 菊川友碩
- 道策 × 安井仙角
- 道策 × 林門入
- 道策 × 永田嘉徳
- 道策 × 河井長大夫
- 道策 × 仙臺自性坊
- 道策 × 親雲上濱比賀
- 道策 × 今瀧太郎兵衛
- 道策 × 雛屋立甫
棋譜に附されたコメントを一部抜粋。
【天和三年十一月十九日 於御城 ×春知(二子)】
道策は此局を以て一世中の傑作なりと講せし由を伝ふる書多し
【寛文十年十月十七日 於御城 ×算哲】
天元の局中最も有名なるもの 算哲天文の理を盤上に用ひ 先番第一着を天元に下さば必勝の確信ありといひしに 御城碁に於ける結果斯くの如し 以来天元を用ひざりしといふ
安井流と呼ばれた当時のスタイルに変革を起こし、合理的かつ全局的な布石の観点を導入したことから近代囲碁の祖とも称される本因坊道策。その棋譜に残された名人の軌跡を、思う存分にご堪能ください。
(LDP)
道策全集-復刻版
【著者】本因坊道策【編集】LOGDESIGN publishing
【ページ数】397ページ
【出版日】2014年11月17日(第1版)