それが杉田玄白、前野良沢、中川淳庵らによる日本初の翻訳書「解体新書」です。
杉田玄白が解体新書を手がける事になったきっかけは、蘭学者・中川淳庵がオランダ語の解剖学書「ターヘル・アナトミア」を玄白に持ち寄ったことでした。
一字もオランダ語が読めない玄白がなんとか資金を工面し、ターヘル・アナトミアを手に入れたのと同時期に、蘭学者・前野良沢も同書を持っていたことから、彼らの共同での翻訳作業がスタートしました。
翻訳にあたって、玄白達は小塚原の刑場で腑分け(人体解剖)を見学し、実物の解剖死体とターヘル・アナトミアの図版を照らし合わせ、その記述の正確さに大変驚いたと言われています。
その驚きが医者であった玄白のモチベーションをさらに高めるとともに、噂を耳にした蘭学者や医者が玄白達の元に集まるようになりました。
実際の翻訳作業に従事したかはともかく、玄白の交友関係には平賀源内や福知山藩藩主・朽木昌綱といった蘭学者も数多く含まれていました。
解体新書というその名称ゆえ、医学書や解剖学書という印象がどうしても強くなりがちです。
しかし、観察に基づく解剖図を記した学術書としては山脇東洋が1754年に著した「蔵志」がすでに存在していました。
実際、杉田玄白も医学書としての厳密さを深く追求したわけではなく、あくまで蘭学の翻訳書としてパイオニアになることを願っていました。
事実、解体新書の刊行以降、そのメンバーや門人達、解体新書を手にした蘭学者達によって、次々と翻訳書が刊行されるようになりました。
解体新書は蘭学アーリーアダプター達が集い、日本初となることを目指した翻訳プロジェクトだったのです。
本書では解体新書を構成する全5巻のうち、人体解剖図を掲載した第一巻の全ての図版を高解像度画像のまま完全収録しました。
秋田藩出身の西洋画家・小野田直武が担当した図版には、各部位や臓器の名称が記されていますが、この名称一つの翻訳をとっても、一日がかりで訳出できなかった日もあったと玄白は述懐しています。
また、これらの図版はターヘル・アナトミアだけでなく他の解剖学書も参考に描かれており、実際に図版を見比べてみると雰囲気の異なる図版が所々に散見されます。
満足な辞書もなく、ようやく近代化への足音が聞こえはじめた時代の中で、日本学術史の礎を築いた「解体新書」。
その図版の数々が放つ時代のダイナミズムを、是非ご堪能ください。
(LDP)
解体新書 完全復刻図版集
【著者】杉田玄白 【編集】LOGDESIGN publishing
【ページ数】48ページ
【出版日】2014年10月1日(第1版)